アメリカにおける「3Dプリント」の歴史:定義や概念、また今後の展望 – その①

アメリカにおける「3Dプリント」の歴史:定義や概念、また今後の展望 – その① – 記事

1. 「3Dプリント」の意味・定義

3Dプリントとはマテリアルを層にして重ねることでオブジェクトを作成する一連の手法です。層は、3Dモデルの連続する断面にそれぞれ対応します。3Dプリントに使われるマテリアルは、プラスチックやメタル合金が最も一般的ですが、実際にコンクリートから生体組織までほぼ全てのものが使用できます。3Dプリントにより一点もののパーツを効率よく作れますし、3D プリント以外では不可能な、きわめて複雑な形状も作成することができます。

3Dプリントを実装する3Dプリンターは元来工業用として自動車や家電製品の部品をサンプルを試作するために利用されてきました。最近では3Dプリンターの特許が切れたため低価格化が進み、急速に普及してきました。

最初は3Dプリンターはラピッドプロトタイピングシステム(Rapid Prototyping System =RP System)と呼ばれていました。個人や中小企業が導入するには高価格すぎたので、多くの場合大企業の商品開発部門や、試作を専門とする業者等で導入されていました。

2. 「3Dプリント」という「言葉」はいつ生まれたのか

3Dプリントの概念を最初に考えたのは、実は日本人技術者でした。1981年に当時名古屋市工業研究所の小玉秀男氏が、光硬化樹脂 (フォトポリマー) を使った光造形法を開発しました。小玉氏はその特許を出願しましたが、国内で実用化に前向きな企業が現れませんでした。そして出願した特許は出願審査請求の期限が過ぎたため、残念ながら失効しました。

日本は特許大国と言われ特許数は世界の1/10を占めています。年間の出願件数は約40万件にのぼり、アメリカの約2倍近くの特許を出願していますが、その1/3は使用されていない状況です。日本における特許出願の目的は、競合他社から防衛するためだけの場合が多いので、特許取得を武器に新規ビジネスを立ち上げようとする企業が多い、アメリカとは状況が異なるのです。

小玉氏が出願した特許の審査請求権が失効した1987年に、アメリカのChuck Hull氏が3Dプリントの基本特許を取得し、その後世界最大の3Dプリンターの会社である3D Systemsを創業しました。

この頃の3Dプリンターの技術は未成熟でまだ完成されておらず、しかも大企業にしか導入できない高価なものでしたが、すでにその利用価値には誰にとっても無視できないものがありました。

3. 「3Dプリント」の概念が生まれた背景

技術革新と普及、人それぞれの嗜好の多様化、マーケットの急速な変化といったさまざまな要因の元、多くの企業では製品開発において試作製作や評価のプロセスの見直しが求められるようになりました。

すばやく試作しテスト及び評価期間を経て、レビューを元に再度試作に戻るというプロセスを繰り返すことで、より精度の高い製品を開発できるのではないかと模索が始まり、1980年代に立体をメカニカルに造形する技術についての研究が、アメリカ中心に世界で始まりました。

1987年以後もアメリカでは特許を上手に活用し、新規ビジネスを展開しようとする企業が多く生まれていきました。世界的な3Dプリンターメーカーで有名なストラテシス社は、1980年後半に熱溶解積層法(FDM)という造形法の特許を取得し、これが現在の3Dプリンターの主流の造形法となっています。

4. 「アメリカ」にていつごろから「3Dプリント」が「工場での使用」することが始まったのか

従来から使われているRPシステムに対し3Dプリンターという言葉が使われたことも 3Dプリントが広まりだした要因といえます。紙に印刷する2次元のプリンターに対して立体を造形する3Dプリンターの登場により、一般消費者にもそのイメージがつかみやすくなったのです。

2013年は3Dプリントにとって大きな節目の年でした。そのきっかけとなったのが当時のアメリカ大統領であった、オバマ氏の一般教書演説でした。「3Dプリンターはものづくりに急激な変化をもたらす可能性がある」とオバマ氏が議会で発表する施政方針で取り上げたことから、3Dプリンターへの注目度は一気に高まり、その後多くのメディアで露出されることとなりました。

3Dプリント(3Dプリンター)はもはや工場でものづくりに携わる人だけでなく、一般消費者にまで広く知られる言葉となったのです。

なぜ広まったのか、その背景は・環境はどうだったか

当時のオバマ大統領の演説と並んで3Dプリントブームに大きく影響したのは、2012年に出版されたChris Anderson氏の著作である「MAKERS ~ 21世紀の産業革命が始まる~」でした。一般教書演説とこの著作に共通しているのは、3Dプリントをものづくりを根本から変える革新的技術として位置付けていることでした。

同じく2012年にはアメリカ国防省がNAMII(全米積層造形イノベーション機構)の創立に3000万米ドルを投入し、3D造形技術の開発に積極的に関わることになりました。また3D CADの普及、パソコンやグラフィックス環境の向上、3次元積層造形技術の進化なども、3Dプリントブームの大きな要因になりました。そして2013年はアメリカ政府および民間双方において3Dプリントの施策や投資、さらには関心が重なった一年となりました。

3Dプリンター元年と呼ばれるようになった2013年、3Dプリンターを展示した米キーエンスの展示会ブースには予想の3倍を超える人が訪れ、1万人ほどの人々がその製品カタログを希望しました。キーエンスの3Dプリンターがテレビや雑誌など、さまざまな媒体で取り上げられ、同社が主催するセミナーにおいても、3Dプリンターなら満員という状態が続くことになりました。

5. 「アメリカ」「3Dプリント」の「工場での使用」におけるキーパーソンとその活動

3Dプリントの専門メディアであるアメリカ3Dnativesが、2017年の3Dプリンターパーソナリティに選出したトップ3を紹介したいと思います。

1.Dion Weisler氏(HP Inc.)

Weisler氏は2015年からHPのCEOを務めています。彼の陣頭指揮によりHPではフルカラー3Dプリンターの新規開発に成功しました。さらに彼は多くの企業とのパートナーシップを強化したので、3Dプリンター市場の成長に貢献しました。HPでは2019年には新規製品のメタル3Dプリンターのリリースを予定しています。

2. Ric Fulop 氏 (Desktop Metal)

Dassault Systèmes、Protolabs、Markforgedなどで要職を務めた後、2015年にFulop氏はDesktop Metalを設立し、基本価格がわずか68,000ドルのメタル3Dプリンターをリリースしました。 従来メタル3Dプリンターは最低価格約30万ドルだったため、Desktop Metal の発表は非常に画期的でした。現在Stratasys、General Electric、GoogleBMWなどの企業が、合わせて2億1000万ドル以上の投資をDesktop Metalに行っています。

3. Mohammad Ehteshami氏 (GE Additive)

ゼネラルエレクトリックの航空部門の元ヴァイスプレジデントであったEhteshami氏は、2016年にGE AdditiveのCEOに就任した際、以前の職務で航空に特化した3Dプリントセンターの設立に関った経験を生かし、航空、エネルギー、製造業をターゲットとしたGE 3D プリンターのプロモーションに尽力しました。現在はアドバイザーとして引き続き同社の3Dプリンタービジネスに貢献しています。

6. 「アメリカ」での「3Dプリント」の「工場での使用」の今後の展望

アメリカで世界初の実用機が1986年に発売されてからは、材質や造形方法などを改良した技術が次々と開発されました。ただ基本概念は1980年の発明当初から大きく変わっていません。

技術革新が続き今までにない造形方式が登場すれば、3Dプリンターの利用法は一変するでしょう。量産まで含め、ものづくりのカタチが変わる可能性も十分にあります。

3Dプリンターは生産性という意味では金型生産には及びませんが、新たな3Dプリンターが次々と開発されており、機能、性能、応用範囲は急激に進化し続けています。特に3Dプリンターは少量多品種のものづくりにとって、さらに強力な武器になると言われています。

そして3Dプリンターの進歩のためには「何のために、どう使いこなすか」という、使い手の意識の改革も求められることでしょう。

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